吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

故郷というものについての考察.

f:id:angEllie:20180125204732p:plain帰国して2日目の真夜中2時半くらい、大変に寝ぼけながら考えた。
結局、私は「日本国籍」という自分の持つ記録と、生まれて物心がつき人生最初の基準が揃い始めた「生まれ故郷の香港」という記憶に頼るところが強いものの間に挟まれている。

 圧倒的に日本に住んでいる時間が長くて疑いようもなく日本人のはずなのに私の気持ちはもどかしい。そしてその気持ちは年齢を重ねれば重ねるほど大きくなる。私は日本人でいたくなかったのかもしれない。1997年の香港返還時にどのような混乱が発生するかわからないという観点で、1984年秋、両親は私に日本国籍を選んだ。その選択に理解と感謝を持ちつつも、アメリカで生まれて20歳で国籍を選べる友達のことを何度も羨ましいと思った。私も選びたい。香港という国がないことがとても残念だけど、選びたい。
そして、こんなに同調圧力の強い日本という国で馴染んで生きていくのは結構苦痛で、実際多勢に馴染めず孤立することも多かった気がする。だからといって孤独も寂しさも感じなかった。むしろ時折あったその経験が私をどんどん強くしてしまった気がする。自分のこころの中にはいつも香港の風景があった、小さな窓のいっぱい並んだ汚いマンションに中国語の看板がくっついている。色は様々。夜になると光るやつもある、だからそうゆうのは日中どことなくうっすらとしている。そして、窓からは向かいのマンションの窓に長くてしなやかな竹がすうっと伸びていて、その間につるされている洗濯物。これもまた色は様々で形はヨレヨレだったりする。洗濯物に空の景色を邪魔されながら道端では人々が生活している。衛生面で信用のおけない食べ物を売っていたり、歩道の上で麻雀をしていたり、毛がぼさぼさの猫や犬が暇そうにしている。そうゆう雑然とした、あるいは混沌とした景色が手前にあって、でもピントを奥のほうに合わせるといかにも欧米式の洗練された建物が重なるようにすーっと天に伸びていて太陽の光を反射している。エネルギーが爆発しているあの風景を思い出すと大概のことは乗り越えられるように出来ている。ぐっとこころに力が入る。

本当に人にはどうでもいいことだけど私には答えの見つからないことだ。日本に来たのか、日本に帰国したのか、そもそも帰国子女って海外で生まれても「帰国」扱いなのか。「来国」じゃだめ?とか。「子女」という表現いつになったら変わるの?とか。どうして自分はここにこんなにこだわってしまうんだろうとか。

今回の旅も「香港に行きます」と言うのだけど、本心は「香港に帰ります」なわけで、でもたぶん他人との関係において面倒になるからそうは言わないという、ありのままの私なんてずっと遠いとこに投げてきている状態。でも、やっぱり私は記録と記憶をすり合わせていって生きられたらいいのになと思う。日本も好きだけど、香港はもっと好きだ。

追記, 「母国」という言葉もずっと引っかかっていて改めて広辞苑で調べたりしてみた。それでいうと私については「母国 香港」「祖国 日本」という形がしっくりきた。でも母国語っていうけど、祖国語って聞かないね。