吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

『自信をもてる子が育つこども哲学』読了.

こちらは、作者の川辺さんに取材をさせて頂いたこともあり、とても記憶にのこる一冊。

立教大学の河野先生や、あらゆるきっかけでこども哲学と関わり始めた大人の方々と川辺さんが、対談をする形式で展開していく。とても印象的なのは、こども哲学といいながら、子どもたちよりもむしろ大人たちのほうが時間を経て変化していく姿。

最後の章で、権力関係の解除というキーワードについて語られている。親子関係って、親が思うよりもずっと子どもは育ててもらえなくなる恐怖みたいなものに縛られている環境で、まずはそうゆうこわばりみたいなものをほどいてフラットに対話できる関係をきずくことがとても大切なのでは、と。

この本を4回読んで、私にとっては、ああこれがこども哲学の本質なのかなと感じた。その理由はいろいろあるけれど、自分自身や周囲の「もう大人になった人たち」の親子関係を観察しても、その家庭の中でこども哲学的なコミュニケーションがあったかどうかを想像すると、ああなるほどと思うことが多くなったことがひとつ。

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私も一人の親として、子どもには、何歳であってもその年齢なりのコミュニケーションがあると感じる。子どもから、ポッと湧き出てくる言葉や疑問は非常に哲学的で、回答に窮するものも多い。また或いは、困難な状況において、何も言わずそっと背中を撫でてくれるときなど、その繊細な感受性で受け止めたことに対して何も言わず行動で示すという子どもの姿に哲学性を感じることがある。

ゆったり時間があれば、心に余裕があれば、今何かに追われていなければ、ゆっくりとその言葉のひとつずつに耳を傾けたいのだけれど、現実はなかなか難しい。そして恐ろしいことに、どんな小さな子どもでも、こちらが耳を傾けていないことを敏感に感じ取り、発信しなくなっていく。壁打ちされなくなった子どもの疑問はどこに行ってしまうんだろう。海の中に溶けてしまう一滴の水を探すようなさみしい気持ちになる。だっていつか私の子どもは大人になってしまうから、今しか出会えない尊い疑問をたくさん宝箱にとっておきたい、そんな気持ち。

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取材中に川辺さんが「立ち止まることを許してくれるのが哲学」と言っていて、私のなかにその一言が枯山水の波の如くとても静かに留まった。立ち止まったら死ぬかもしれないという思想で何らかに向けて走り続けてきたけれど、立ち止まって、湧き出る疑問や自分の内外で繰り広げられる対話に耳を傾ける時間くらい、数十年生きるなら大事にしても良いのかも、と初めて想った。

そしてこの本には、哲学の難しい話が一言も出てこないところが魅力のひとつ。本屋さんで探したときも哲学のコーナーではなく、育児コーナーで発見。ちゃんと深く呼吸をしながら子どもと向き合うためだけでなく、大人同士の社会を豊かに泳ぐためにもエッセンスをもらえる一冊、です。