吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

『ゲノム編集を問う』読了.

やはり、たんぱく質を理解することが非常に大事なのではないかと、たまに思う。二重らせん構造しかり、基礎代謝を上げるための筋量増加に向けた計画しかり。「すべての道は、たんぱく質に通ずるのだ」なんて思いながら。

"神の領域"だと言われてきたことがたくさんある、例えば、命そのものの存在理由だったり。もう少しそれを顕微鏡で覗いていくと遺伝子的なもの、裸眼では見ることのない塩基配列だとかそうゆうものもきっと神が操っているということになっていた。科学的な解明をヨイショと棚の上に見えないように置いておいて宗教的観念で市民統制をおこなっていた時期が欧州に存在することにむしろなんというか、「よくできましたねそんなこと」と思う。天動説しかり。だってさすがにずっと昔の人だって、怪我をして流血してそれを舐めたときに「ん、鉄の味がするな」と思うでしょう。何かしらミクロなものの集合体だと思わなかったのかしら。とか。

というようなことを改めて考えさせてくれた本がこちらでした。某学部受験生時代に医療×倫理観みたいな論文を良く書いていて(試験対策)、ゲノム編集はよくテーマに上がっていた。与えられた命の情報を書き換えて良いのか、ということ。それは、何も人間に限ったことではなく、品種改良を施される農作物や、飼育しやすく身体の特徴を遺伝子操作で変えられてしまう家畜なども含めた話。家畜は、角が生えていると家畜同士が突いて傷つけあったり、飼育者が怪我をしたり扱いにくいという理由で生えないように編集しちゃったりする。怖い。人間もちょっと耳たぶが邪魔なので、次の赤ちゃんから耳たぶは無しにしましょう、みたいな感じか。神とは言わないけれど、やはり何かしらの聖域をおかしている印象は拭えない。

そしてそうして初めにあった姿を変えたものたちを私達は食べている。あなたがもし、「いいえ、私はスーパーでその点に留意して買い物をしています」と言ったところで、外食したり、総菜を食べていたら、可能性を否定できない。つまり、そうゆう世界に生きている。便宜、便利、効率、利潤、なんだかそうゆうものに惑わされない選択をしたいと思う。遠回りでいいし、もっと不揃いでいいし、だけど、最初の形や姿を忘れないでいたい。人間である前に、ヒトで、このまま世界が進んでいくと、片目をつむって右手と左手の人差し指を合わせようとしてもすれ違うような感じで、ヒトが今まで相性良くやってきたものたちとうまくいかなくなる気がするんだ。

しかし、ゲノム編集の技術はきっと進む一方だ。
活用するかどうか、という議論に生活者はいつ参加するのだろうか。

*Writing BGM

Palo Alto

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昨年、不眠症に陥り、ひとりHotelUberを呼びつけて飲みに出かけたPalo Altoを思いながら聴いている。しかし、夜中2時以降アルコール出さないのね、あの国。