吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

守るものができたこと.

f:id:angEllie:20180126140821p:plain二年振りのスキーをしに裏磐梯に家族で行ってきた。
こどもをスキー教室に行かせたので、夫とCourse Peakに行こうとなりリフトとゴンドラを乗り継いで行ったら景色は凄くいいのだけど、いざ滑り降りるときに怖くて仕方がなかった。

 

私の人生、スキーはまだ5回目くらいだけどそれなりに上手かった自信もあって、恐怖心に足元を掬われるなんて、と思った。

以前だったら迷わず上級者コースを選んでスピードを出して際を攻めたはずなのに安全なほうへ緩やかなほうへと向かう自分にがっかりしながら滑り降りたら、夫に「前もっとうまかったし、前だったらああゆうところ楽しんでいたのに変わったね」と言われて、つい口を出たのが「守るものができたから」だった。それに対して、夫も「なるほど」と。

そうか私は守るものができて危険をおかさないようにプログラムされてしまったのかと納得する反面、悔しい。高い木のてっぺんまで登って隣の木に飛び移ったり、目をつぶって道路を全力疾走したり、高速道路をよじ登って覗くような私はもうここにいない。そして自分のこどもが、かつての私と同じようなことをするかもと想像すると失神しそうな気持ち。

こどもが生まれて数か月は、その命の継続が確実に自分にdepend onされていて睡眠中も常に呼吸しているか確認するくらいのストレスだった。歩き始めて、積み木の押し車ごと床に倒れて口の中が切れたときは歯科医院の夜間救急に駆け込んだ。病気で入院したときは消灯時間になっても寂しがって寝ないのを寝付くまで撫で続けた。そうやって命を大切に守ってこなくてはいけない経験があって、私は攻める姿勢を少しずつ失ったのかもしれない。必然ではあるが私らしさが欠けたのもまた事実。

今年は人生二度目の富士登山行っちゃおうかな。