吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

『愛するということ』読了.

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

 

「愛」とは何か、それ以上に「愛する」とはどうゆうことなのか。「愛する」とは環境要因的に、そして事故的に発生するものか。気付かないだけで非常に能動的なものか。

これについてフロムは、下記のように述べる。

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。

この後続くフロム論についてまずは上記の思考を、塩昆布をしつこく噛むようにじわじわと自分のなかに行きわたらせておくことがとても重要。愛そのものというより、愛するという行為または状態について、自分と自分以外の人々(人以外も)の関係が語られていく。90%の完全同意と、社会変容によるところが多い10%の「いいえ」を持ちながら読んだ。頭のなかで考えてきたことはあったけれど文字化することはなかったものたちが文章になって目の前で綴られていくライブ感さえあった。10%の「いいえ」については、男性性と女性性の領域についてである。ここは現代において非常に曖昧になってきている、曖昧になることが本当に両方にとって有益かどうかという点は、日々の仕事の専門領域の一つでもあり、また別のときに分析したい。

フロムは1900年、ユダヤ教徒の家庭に生まれている。ユダヤ教をもっと知らないと彼がどんな思想の教育を受けて神や信仰を自分のなかで整理したのかはわからない。
一方、著書のなかではやはり旧約聖書的思想に触れる部分があり、そこにインド哲学バラモン哲学等も併せた上でずいぶん丁寧に解釈が書かれている。アダムとイブをモデルとした人間関係の成り立ち、愛、誘惑、セックス、"Labor"の発生、つまり旧約聖書を読んでおくことの重要性(≠大切)を感じ過ぎて止まない。正誤は別にして世界基準の思想の根底にあると感じることがここ数か月特に多く、10年以上聖書教育を受けてきた意味を情緒的目的を超えて「世界解釈につながるんだこれは」というアハ体験を得ている最近。(とはいえ、フロムは有神論の概念に従ってものを考えているわけではないとのこと。でしょうね、と言う感じ)

他にも引用してお伝えしたいフロム論がたくさんある。でも、この本は読んで欲しい。非常に読みやすい和訳になっているし、章構成も非常にきれい。星の王子様につながる何かも感じ得る。そして、どうしてもフロイトを併読したくなる。フロイトの著書をお持ちの方はぜひ傍らに置いてどうぞ。

私は一度フロイト論をエクセルシートで表整理してからフロムを再読したい。表で可視化して対比したり、プロコンを人と共有する脳クラウド的活動を愛してやみません。
さて次は積読している『悪について(エーリッヒ・フロム著)』も読み始めよう。

本著をお勧め頂いたことに感謝申し上げます。

追記。同一のイメージ(目に見るありのままの姿)を前にしたときの世界の解釈の違いについては「へび」がわかりやすいと思った。旧約聖書古事記日本書紀あるいはもっと別のものでそれぞれが別のへび的ストーリーを持ち、ある種生まれついた地域の英才教育を人々はほぼ無意識に受けて大人になっていく。目にしているものが同じでも、解釈が大きく異なるわかりやすい事例。世界が串刺しに課題を解決していこうというとき、その違いを知らないことはリスクの一つ。とかそうゆうこともふわっと思ったのだった。


*Writing BGM


Makoto Ozone Trio - Asian Dream (Makoto Ozone)
彼のJAZZ CONCERT@Bunkamuraに行ったのも、もう5年以上前。時が経つのはあっという間ですねぇ。