吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

メディアにおける時間と編集.

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雲をつかむように春が逃げる日々、寒くてたまらないと思いきや桜のつぼみが間違えて開きそうになっていたり、花粉がこれでもかと飛び散る複雑な季節の変わり目。さて、今日、見たメディアは何でしたか。

私は、朝の育児を終えて電車に乗りながらYahoo!でぱぱっと大きな災害や事故事件が起きていないかチェックして、SNSでフォローしている海外メディアのトピックスを流し見、その後はもう専ら読書に入るタイプ。会社について新聞や雑誌を確認したりして、夜中にビジネスニュースをながら見する日もあるといった感じ。休日は専らラジオか音楽を聴きながら読書で俗世とは離れている。

メディアに求める役割というのが、一人一人のライフスタイルによってどんどん細分化されていく時代。速報が手に入りやすい時代。新聞の情報がもはや新しくない時代。人々はそれぞれのメディアに何を求めているのでしょうか。
メディアそのもの、或いはそれを提供する個人や組織がそれぞれどんなコンセプトをもってアウトプットを作っていくのか、「時間」と「編集」というものがものすごくキーワードになっている気がしている。と、当たり前のことをあえて言ってみる。目の前に起きていることや手に入った情報に関して、速報性を第一にして編集時間をかけず届けるか、一拍置いてある程度編集して届けるか、むしろ届けないでオンウェブしておいて見に来てもらうか。

ちなみにこちらのブログは暇なときに覗いてもらえば幸いです(笑)

小さい頃からメディアのなかでも特に新聞が好き、そして、その大好きな新聞が今一番変革期を迎えているような気がしている。もはやそこに載っている情報は「新しさ」が売りなのではなく(新しさを売りにするなら1日に8回ぐらいは発行しないとYahoo!に追いつかない)、1日の間に起きた膨大の量の出来事を優先順位をつけて、関連データなどを引っ張りだし、有識者に取材をして追記情報を加えるなど編集しつくし、限られた紙面のなかに一夜にして詰め込んで、大量印刷して折りをかけて確実に明け方までに配達しているところがすごいと感じる。速報的に必要な情報だけではなく、捲っていけばそこに文化や哲学があり、X軸もY軸もあり、必ず毎朝届くところが今の新聞の魅力なのである、あくまでも私にとっては。

10年後、新聞は、一体どうなっているんだろうとほぼ毎日思っている。先日、朝の満員電車で「混雑した車内で、新聞・雑誌を広げないでください」という放送が流れびっくりしたのでこんなブログエントリーをしてみたのだった。

*Writing BGM

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