吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

『シンギュラリティは近い』再読.

1年振りの再読、1年前も仕事のために読んだが、今回も仕事のために確認したいことがあって再読。同じことが書いてあるはずなのに捉え方はだいぶ変わった。

昨年と今回とでは、世の中での浸透度がまるきりちがうシンギュラリティに関するお話。それは特定のメディアでだけ語られてきたものが少しずつ開かれているということ以上に、進化し続けるテクノロジーが製品に搭載されて人々の前に出る機会が増えているからだと感じる。ああ、すごく当たり前のことを文章にしてしまった。

脳をスキャンしてアップロードする。
これ好きだ。

人間の脳をシミュレートするためのメモリとコンピューティングの要件を見積もったら10^16cpsのコンピューティングと10^13ビットのメモリがあれば人間レベルの知能は十分に模倣できると推定、ただし、アップロードする場合はさらに必要で、その理屈はニューロンの存在とニューロン間で発生している働きに関連する。脳機能の解明について生物学・医学的に繙いていくだけではなく、模倣・学習というプロセスを通して解明されていくことがたくさんあるんだろうな、と思う。
シンギュラリティに関してはあらゆるホラーストーリーも提示され、ビジョナリストなり、企業なりがそれを議論、肯定・否定に加え、解決策や打開策までいろいろ打ち出しているわけだが、一方でこの進化はむちゃむちゃ面白いのであって、もう私達はその竜巻のなかでいつかどこかにとばされてしまうことさえを夢見て生きているのかもしれない。想像を超えたどこかに託す期待はなんだろう。

世界はたまに物凄く果てしなくて、頭のなかで色を塗ることができない。頭のなかで色を塗ることができないのは情報が足りないのか、情緒が邪魔をしているのか。

とにかく、学生時代が終わったからという理由で数学や物理を勉強しないなんてもったいない時代だということだけは確かだ。今日も教科書を開こう。