吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

『言葉と歩く日記』読了.

言葉と歩く日記 (岩波新書)

言葉と歩く日記 (岩波新書)

 

ドイツと日本と諸外国のあいだを妄想飛行しながら浸かる一冊。たった4か月のことを書いているだけなのに長い人生を見つめているような錯覚を得る。

読み始めて、目が字を捉える速さと文章の背景を想像する速さに差が生まれ、指が次の頁へと紙をめくるたびに想像のほうがたたみかけるようにばたばたと脳内に滑り込んでくるようだった。言葉の扱い方の面白さに加えて、背景をキャッチしたい気持ちが盛り上がる。

時折現れるドイツ語の解釈に自分の笑みが漏れているのがわかる。過去2年間、ドイツ語に触れた日々があって(日独辞典に掲載されていないような言葉を急いで翻訳する必要に迫られて泣きながら英独で翻訳をした夜中があった)、その言葉のパターンだったり、インダストリアルライクな響きであったりを思い出した。そして、昨年、父から「20年くらい前にドイツ支社長の話があったけど断ったんだよね」と突然の告白を受け、急にドイツが他人事ではない存在になった。そうか、住んでいたかもしれないのか、そこに。

2月16日の日記がたまらない。
「ドイツ語で炭酸の入っていない水を『stilles Wasser(静かな水)』と呼ぶ。-中略- それに引っかけて時々、炭酸入りの水のことを『lautes Wasser(うるさい水)』と冗談で呼ぶ人がいるが…」という一説がある。私にとってドイツ語の音がインダストリアルな響きに聴こえるのはインダストリアルな単語からの出会いが多かったせいであるのと仏語の音と相対的に聴き比べてしまっているのだと思うが、言葉の形成は実に情緒的である。<炭酸の入っていない水>であればファンクショナルなのに、<静かな水>とは。

そして、2月17日に記された疑問も省略するが秀逸なのである。
彼女の記す言葉のかたまりは、段落の終わりになかなかこころにぎゅっとくるオチが散りばめられていて、文章の〆の豊かさに「楽しみ」が止まらないといった気分で読み進める。言葉のルールと文法というものにもまた、やや違いがあって、ここについても私はこの本を読み進めながら延々と考えた。脳が何個あったとしても、どの脳も飽き足ることを知り得ない一冊だった。大切なキーワードにたくさん出逢うことが出来た。

 

彼女の言葉の捉え方が脳のすみっこをつつくので、他も読もう。