吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

旗を見て呼吸が止まるほどの何か.

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公園通りって確か呼ぶ、その坂を上っていくと小学生のときから通い詰めていたバレエショップが現れる。昨日そこに、英国旗のチュチュが飾られていて、呼吸も足取りも文字通り「ピタリと」止まってしまった。

英国に感じる憧れというものは、私にとって複雑さを極めたもの。まず、私が生まれた場所は当時英国だった。植民地で生まれて物心がつくということがどうゆうことなのか、街が迎えた変化を辿って初めて気が付くことがある。小さい頃見ていた街の看板が、その土地を離れて数年後行ってみたらすべて英語表記から北京語表記になっているのは文章にすればシンプルな出来事だけれど、その場所がローカルであればあるほどショックなものだということをお伝えしたい。広東語で見慣れていた固有名詞こそ個性を失わないが、Watch your step的なものもすべて漢字一色。小心。
私の通っていた幼稚園では当然のように1人の先生が、英語→広東語→北京語の順で話していた(今はたぶん変わっている)。だから、イベントの逐次通訳をご想像頂けるといいのだけれど、一つのことを始めるのに3倍の時間を要する。こどもたちはおこぼれ的に三言語を習得する。英国は確実に香港という街を面白くし、複雑にし、混乱させた。ポジもネガも、どちらも愛している。

次に、母の影響で英国ロックと英国文学(母の卒論題材は、"Pride and Prejudice")に随分と傾倒した。最初に好きになった歌手といえばCyndi Lauperで、母と2人で家の中を跳ねるように良く踊った(父は住んでいる国にほとんどいない生活だった)。Shakespeareリア王だったかマクベスを読んだときにその頭に浮かんだ情景がたまらず一人でリビングで音読劇をしていたら、ワインを片手にソファに座った母が「どうぞ続けて」と観ていた。母の影響をもろにこの身で受けて育った。

さらに、英国王室が好き。王室行事となると、私は友人が家に来ているときも「ちょっとごめんね」と断って普段ほとんど見ることのないテレビをつける。ロンドン育ちの大切な友人は、帰郷の折に英国王室グッズを私に買ってきてくれる。ダイアナ妃が亡くなったときはもちろんすぐ九段下の英国大使館に薔薇をもってかけつけた。あれは中1の夏、ダイアナ妃とマザーテレサが立て続けに亡くなり嗚咽し続けた喪失の夏だった。


数年前、ロンドン育ちの上司とイギリスのあるメーカーの仕事をしたときに、短期間で文献を読み漁りイギリス研究を進めてコンセプト作りをした。「庭」にまつわる企画をたてて、じめじめとしたイメージのイギリスではなく、晴れた日のイギリスの田舎町のガーデンパーティーを具現化したそれは、改めて資料を見てもいい企画だなあと思う。短い時間だったけれど、土地の本質を探ったあの日々は豊かで苦しくて楽しかった。あの国の仕事をぜひまたしたい。


人生は、たまに、守ろうとして失うものがある。


3日前、一度予定が合わずに諦めたロンドン行き、そして昨日、公園通りで英国旗と出会う。旗を見て呼吸と足取りが止まったのは人生で初めてだった。何かの思し召しなのだと勝手な理解をしてやっぱりロンドン行きを画策する。行けば、本当にたくさんの友達が暮らしていて、好きな文化や音や宮殿や学校があって、いつか完成するはずの人生パズルのピースのいくつかをそこで拾うんだ。