吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

”舟を編む”.


邦画ブームがやってきた、というわけではなく通勤時にやっと鑑賞。

母方の祖父は、正しく知りたいことがあると静かに立ち上がり、辞書や辞典の並ぶ廊下のほうへ音もたてずに消え、ひょっこり顔を出して「おい、こっちゃ来い」と私を呼ぶ。そして、わかったことは丁寧に手帳に書き移す。私が送った手紙にも、赤字と解説が入って戻ってくるほど言葉に対して丁寧な人だった。曾祖父もまた座った定位置の後ろの小扉をあけると辞書の出てくる人だった。すっと調べてすっと戻す。だから言わずもがな私の母はもはや"マダム辞書"と呼んでも良いような暮らしぶりで、彼女が辞書を引かない日はおそらくなかった。彼女の本棚には、多様な辞書が並んでおり、めくると丁寧に真っすぐと線がひかれており使いこまれているのにページの端が折れているなんてことはけしてない。どの子も母に愛されたんだろうなという状態。最後、緩和病棟に入院するときのかばんにも小さな仏英辞典を忍ばせていて、私がそれを発見しかばんからつまみあげて母を見たとき「だってないと困っちゃうもん」と彼女は言った。

つまり、私も辞書を書物として愛で育った。やはりなんといっても国語辞典と百科事典の類が魅力的。広辞苑第五版が出版されたとき、祖父と母と私は沸いた。祖父は書店に予約して、私達に一冊送ってくれた。それまで使っていた国語辞典とは厚みも大きさも違う、久しぶりの新しい辞書の香り、頁をめくるときの紙のしなり具合。今もあの興奮を思い出すことができる。広辞苑は特に、真ん中あたりで開いて、そこに顔をうずめると気持ち良い。おすすめ。

その私がなぜこの映画を観るのにこんなに時間がかかってしまったのかはよくわからないけれどタイミングの問題だとしておこう。映画のなかで、辞書を愛する人々が興奮する場面については激しく同意をし、用例集めの面白さや企画から発行までにかかる日数にこちらも見守る体勢に入ってしまうわけなのだが、一部の若い俳優陣少し演技がかりすぎていたかなという印象もちらり。一方で、小林薫氏と黒木華氏の、演技を見ているのではなく人の人生を覗いているような感覚にさせる演技に見入った。ドラマ版はあえて追いかけてみることはせず、友人推薦の原作を読もうと思う。