吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

『Diversities in Education』読了.

Diversities in Education: Effective ways to reach all learners

Diversities in Education: Effective ways to reach all learners

 

1月に香港大学で購入した教育学の基本書をやっと読み終えた。教育環境における多様性課題がずらりと並ぶ。教育学研究者や教員を志望する学生が時代のニーズに即して教育学総論の一つとして学ぶようになっているのだと思う。

業務として、「ダイバーシティ」や「インクルージョン」と呼ばれる分野であったり、多様性課題のあらゆる各テーマに対し、探求・思考・企画・実施を続けてそろそろ5年ぐらいになる。そのうち、特に、"こども×ダイバーシティ教育"という領域に個人的関心を強く持っている。これは、あくまで私の中では「教育環境で学校と言う組織と、教員という大人の環境構成員が、いかに多様性課題と向き合っているのか」という課題であり、体系的に捉える機会を狙ってずっと文献を探していた。日本語で書かれた書籍は、福祉・障害児教育を前提に記述されているものが非常に多く(数字的にもこの領域のニーズがわかりやすかったのだと思う)、もっと人種や文化、LGBTジェンダー論も含め多岐に渡って網羅されているものを探していた。ゆえに、香港大学のBook Store(いわゆる日本で言う生協)で平積みされている本著を目にしたときの「ここで会ったか」感。

本がキラリと光った気がするんです、あの時。
そして、私達、目が合ったと思うんです、あの時。

●著者について
あまりにも情報が少ないので軽く調べた。著書のDavid Mitchell氏は、NZのUniversity of Canterburyで非常勤講師を勤めながらインクルーシブ教育のコンサルタントをしているようで、"What Really Works in Special and Inclusive Education"という本も書かれていて何か国語に訳され、どうやらこれかなという日本語の文献も存在。

同姓同名で、イギリスの小説家David Mitchell氏(東田直樹著の『自閉症の僕が跳びはねる理由』を英訳しイギリスでベストセラーを叩き出した方)と言う方がいらっしゃるけれど別人物なのでご注意を、ただ、2人が出会ったらすごく面白いと思う。対談等を企画化したい。

●本の内容
B5サイズで305頁ある。ご関心ある方はぜひ読んでくださいなのだが、個人的なおすすめは、①目次を読む→②第7章のConclusionsを読む→③認識していなかったテーマや関心の高いテーマについて本章に戻る、という読み方。そうしないと大学時代の期末試験の前夜に「ああ、試験範囲、基本書まるごと一冊って先生言ってたのにまだ1ページも読んでないよどうしよう。基本書どこだっけな。とりあえずまず部屋を片付けよう」状態になる。

試験期間は部屋の掃除が進みますよね。

話がそれて失礼しました。お勧めの章としては、第6章"What do we mean by ability differences?"をピックアップ。可能性として1%もない話ですが私が教員だったらこの章から授業を展開したいと思う。この章の中では、著者が数年前に日本における障害児教育環境について研究した内容も記述されていて、ぜひここだけでも読んで頂ければ井の中の蛙大海を知る的感覚とでもいうのか、世界にどう分析されているのか?という視点で日本を垣間見ることができる。

●個人的な見解と、その他いろいろ
幼稚園・保育園から少なくとも義務教育を修了するまで、Diversity&Inclusion(以下、D&I)を認識した教育や環境設定が日本にも必要だと感じている(いや、本当はそんなに親切なことせず放置すればいいと思っているのだけど、民族数少な目の島国がゆえにごちゃまぜの種類が少ないことでの中途半端ごちゃまぜ感がまた別の課題を産んでいて、正確に言うと教育現場を仕事場にしている人にD&Iのラーニングがあるほうがベターだと考えているということです)。

ただこれまでいろんな方と話した印象としては、各教育機関(学校単位)の自発的活動に委ねられているところが大きいように感じていて、ただでさえ忙しい教員達が、D&Iナレッジを総論的に蓄え、自校のニーズに合わせた(例えば障害児がいる、外国からの転入生が多いなど)各論研究を行い、生徒たちの環境作り、学習、体験の企画などできるのでしょうか。
公立校で、海外からの転入生が非常に多く、日本語のフォローアップ授業を実施したり、外国籍で日本語を話せない生徒の親向けにクラスを持っている学校を知っているけれど、それはおそらくかなり緊急性の高いケースであって、これを国内で一般的に実施するのはハードルが高いと思う。一方、私立校であれば、学校の掲げる教育思想に基づく一部のD&I教育はプログラム化されているけれど、場合によっては意図的に偏ることもある。

例えばキリスト教系の中高に通った私は、①障害者自立施設と合同での授業などがあり、②学校として東南アジア諸国のこどもたちの教育サポートをしたり(事前に地域の貧困問題を学び、生徒全員が里親のような形でボランティアや募金活動を通じてコミュニケーションする)、③校内のボランティアグループに属して、東京都障害者スポーツ大会のサポート、点字翻訳、本の音声化、手話などの活動があり、④生徒会としてもタイの教育委員会と多文化教育に関するディスカッションをする機会を与えられるなど、かなり色々経験したはずなのに、一切LGBTに関する情報は与えられず、意図的だなと思うほど避けられていた。
そして、当然の如く当事者として悩んでいる生徒は存在していて、たまに屋上につながる人目につかない階段で相談を受けたりすると、自分自身の性と向き合うことの悩み、先生や同級生、親に話せない悩みに加え別のレイヤーで恋愛の悩みまで抱えていて「おお、ザ・思春期だねええ!」と言う感じだった。話は真面目に聞いたけれど、どんなときも深刻になりすぎないことは大事。

結論、「まあいろいろあるけど、悩まなくてOK」ぐらいのメッセージはどこの学校に掲げていていいんじゃないだろうかと感じていた。

話がつきなさそうなのでこのぐらいで一度止めよう。
この手の話がしたい方、「この本貸して(普段会える方で)」という方がいらしたらご連絡をお待ちしております。

*Writing BGM

今日は、「あ、私、同世代と聴いている音楽の年代が違うんだ」って強く感じさせられた日だった。今夜も、70年代で最高だぜ。