吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

Morning lesson.

f:id:angEllie:20180302070033j:plain
花粉については家の中にいてもつらいが、朝5時過ぎから起きて踊りの練習をしてみた。むかしは真冬も裸足で踊っていた。今はもう足の裏が壊れたら治る自信がなくバレエシューズを装備。

社会人になると同時に踊ることをやめて10年が経つ。途中、一度レッスンに通ったけれどやめてしまった。コンテンポラリーダンス(或いはモダンダンス)をやる限り、与えられた踊りを舞うのは苦手だとわかり、やはり私自身にとっては創作活動も含めての舞踊なのだと痛感した。レッスンに行くと、踊りのクセや技術については良くなるけれど、それは機能面の話で、情緒的に何ら満足できず、踊り仲間と集まって夜中スタジオで踊りを作りながら踊るほうが生きている意味を感じた。人は二手に分かれるだろうけど、私はそっち側だったという事実。気付くのが遅い。

今も、気付いたら踊っている。
昨夜も帰りながら完全に踊っていた。ちょっとステップ踏むとかならまあほぼ毎日。昨日については、我慢できず最後シェネターンをキメてマンションに入った。たのしい。
会社のオフィスにいい感じのカーブのかかった長い廊下がある。会社入ったばかりの頃、始業前の誰もいない廊下で東から西までシェネターンをしたら、掃除のおじさまと出くわして、向こうが叫んだ。ですよね、ごめんなさい。いきなり早朝に人間が高速回転して登場したら叫びますよね。

10代の頃は全国大会でてっぺんを目指す日々、1つ上の先輩たちと出た大会で3位に。大会前日に「絶対賞を取る。そのつもりで」と言われ、あの大会が唯一舞台上でゾーンに入った記憶がある。20代は舞踊団を立ち上げて公演活動。ずっと一緒に踊ってきた仲間達と進学で離ればなれになり久しぶりに会ったら、様子がおかしく、放っておいたら死んでしまいそうだった。彼女もおかしかったけれど、程度の差こそあれ踊りを失った私達もそれなりに発散のない日々を送っている気がして、次の日なぜか誰にも相談せずホールにお金を振り込んで一人の友達に電話した。頭がどうかしていると思うけど、友達も「わかった、あんたがやるならやろう」。そこからすべては始まった。青春と言えるほど美しいものじゃない、苦い思い出だらけ。でもカラダがぼろぼろになるまで踊り続ける日々は痛くて楽しくて生きていた。あのとき集まって人生の大切な時間をともに投下した仲間に対する感謝の気持ちは一生変わらない。30代はまだ踊っているとは言えない。後輩が「コンクールに出ましょう」と言ってきた。ありかもしれない。高校の部活の指導に行く、ありかもしれない。産後の復帰が見えてきた件の友達から「そろそろ踊れそう」と連絡。待っていました。

だけど先に、あと4キロ体重を絞らせて。
膝が壊れると思うんだ。


The Eccentric Opera - Gloria

今朝は、こちらに構成と振り付け。聖歌隊で歌っていた曲なので楽曲理解もくるしゅうない。