吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

ゴーギャンと映画の記録.


画家が愛した楽園と、黒髪の女たち/映画『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』予告編

この映画の封切りが告知されたとき、いかにして映画館で観ようかと狙っていた。R15だからこども巻き込んで行けないし、とか。でもチャンスはいきなりやってきた。

ゴーギャンが好きというよりは、圧倒的に"IA ORANA MARIA"に魅せられてきた(ゴーギャン自体でいうとアルルにいるときのゴッホの耳切り事件を思い出して、申し訳ないけれど碌な印象を持てない)。彼の作品はタヒチに渡った後から物凄く力強いものになる、パリにいたときとは被写体へののめり込み方が違うということが絵から伝わってくる。しかし実際のところ、ゴーギャンタヒチでの作品を宗教的思想をテーマに描いていたのか、それとも愛した人がいたのか、もしくは"女性"という生命に魅せられていたのかわからなくて、知る機会をずっと待っていた。

高校で美術選択をしたときにかなりの時間をかけて模写をするということになり、幼少時から魅せられていた"IA ORANA MARIA"を選んだ私は、下書きに4Bの鉛筆を使うかコンテを使うか迷った挙句、この作品はコンテで描かないとあの熱帯気候感は出ないと信じて描き進め、色付けの段階で水彩絵具に一切水を混ぜずに筆の先につけた絵具を盛るようにキャンバスにのせていった。なかなか乾かないので自分の席に持ち帰らず美術室の端っこにいつも吊らしておいた。

この作業は大変に目と肩が痛くなるもので、たまに伸びをすると隣の席の友人が「線と丸しかないから楽勝だと思って選んだカンディンスキーの模写がつらい…」とこぼすのでたまにそっちの塗りを手伝ったりした。カンディンスキーは結構絶妙なバランスだから、よく選んだなと私は思っていたけれど。今でもとても仲の良い別の友人はクリムトを模写していて、まあそれもなかなかに模写するには大変そうな傑作だった。みんなあのとき模写したキャンバスどうしているんだろうか。私はまだ大事にとっている。

映画の話に戻ると、映画のなかでのゴーギャンの人生はだいぶ端折られタヒチの部分だけに集中している。情景描写を真ん中に据え、イイとかワルイとかそうゆう評価の盛り込まれていない作品。観る者の解釈によって、あなたのなかのゴーギャンに追加情報を織り込みますといった感じ。私は観てよかった。彼がタヒチで何に熱中していたのか少しだけ垣間見れた気がする。大好きなBunkamura、前回ここで観たのは"BORN TO BE BLUE"だったからだいぶ久しぶりに行ったんだな(言葉にできない虚しさで、私を完全無気力にした映画の一つ)。歳月の流れが最近凄く早い。

映画のあと、ごはんを食べながら人生で影響を与えた映画は何だったかという話になり、思い出せないほど数々の映画のシーンが頭のなかを駆け巡った。やっぱり記録しないと片っ端から記憶が薄れていくのが悔しい。それはけして忘れているわけではなくて、作品の本質的な部分が元素くらいの要素になって自分のなかに染み込み、作品全体としてはちょっと自分を去っている、ということなんだけど説明しにくい現象だ。忘れているものは残念だけど、忘れていないものくらいはこれから少しずつメモしておこう。今日は長くなります、記録用のメモだから。

宗家の三姉妹
大財閥と結婚した長女、孫文と結婚した次女、蒋介石と結婚した三女を巡るストーリー。映画のなかで中秋節を祝うシーンがあり、華やかなシーンに見えつつも、その後の三姉妹の生涯を思うと非常に切なくて忘れられない。あとはシベリアや、汽車のシーン。フィクションではなく史実だからなおさら重い。神保町の岩波ホールで母と二人で観て、そのままさぼうるに行き、二人してしばらく無言で過ごすことになった作品。その後、本も購入して政治の授業中に教科書に挟んで読んでいたら先生に見つかって取り上げられた。休み時間に本を返してもらおうと思って(謝ろうとはさらさら思っていない)職員室に行ったら「なかなか興味深い作品を読んでいる。貸して」と言われてずっこけた。

Virgin suisides
高校生だった気がする。タイトルにSuisideなんて入っているものだから親に言わずこっそりとひとりで放課後に観に行って、高揚感と憂鬱と気怠さと気持ちよさとここではないどこかに行っちゃいたい感が混ぜられた不思議な感情が思春期の私を打ちのめした。この映画のせいで、授業中も窓の外を眺める日々がしばらく続いた気がする。向かいか隣の家から男の子たちが様子を伺うところとか、草むらでわちゃわちゃするスローなシーンがたまに日々の暮らしのなかでエコーする、今も。サントラもそのふわーっとした気怠い心地良さを助長する選曲、ただ映画の内容は実にシビア。そんなに死んじゃうのっていう。でもわかるなあっていう。10代って非常に危険な水域だった。明るく生きることと死の側に近づくことは表裏一体なのだと思っていた。

Invictus
モーガン・フリーマンが出たら映画は名作になっちゃうよね、という話をした。中でも好きなのはInvictus、ネルソン・マンデラを中心に描かれるラグビーと人種差別を題材とした作品。詳細を語れるほどストーリーを覚えていないのだけど(それこそ本質は元素と化した)、人種問題に関する葛藤や悲しさに襲われて映画なのにものすごくはらはらし、しかしここぞというシーンで分かち合いの瞬間があって大泣きしたことだけしっかり覚えている。

Hotel Rwanda
今はもう無き渋谷のシアターNで観た、ルワンダ虐殺のなかであった実話を映画化したもの。これも恐ろしくショックを受けてしまい、劇場から出てしばらく伊藤塾のまえで電柱に寄りかかって放心していた気がする。史実としてルワンダ虐殺のことはわかっているのに、やはり頭で理解するのと心で受け止めるのは全く違い、当時国連でフィールドワークに従事するのが将来の夢の一つであった私に大きな試練を与えた作品だった。出てくる主人公はフツ族のホテル副支配人で、奥さんがツチ族。そして物語は、フツ族ツチ族を大虐殺するシーン。愛が勝つんです、奥さんに対する、そして人類に対する愛が憎しみを超えていく。

アドルフの画集
ヒトラー関連の作品はたくさん観た。一つだけ選ぶとしたら絶対これ。画家を目指したアドルフ・ヒトラーが描かれ、後のヨーロッパの歴史を知る私達にこの作品ほど「歴史にもしもがあれば」と思わせるものもないだろう。彼の希望が朽ち果てる瞬間に世界の電気が一斉に消えるぐらいの絶望が襲う。一つだけ選ぶとしたらと言ったけど、関連作品として、杉原千畝の『命のビザ』、チャップリンの『独裁者』ものこしておこう。

今日はこれくらいでやめておこう、眠れなくなる。

*Writing BGM