吸収と表現の毎日

人生の余白を文字と旅で埋めていきたい

『香港を知るための60章』読了.

 

香港を知るための60章 (エリア・スタディーズ142)

香港を知るための60章 (エリア・スタディーズ142)

 

 "返還後の「香港人アイデンティティの展開"という章に惹かれて手にとった一冊。1841年から英国に、1941年から4年弱は日本に占領された、「街」というには大き過ぎ、「国」といわれることはけしてない香港という「ところ」について。

先日の香港帰省時、初めてHong Kong Museum of Historyを訪問。歴史の教科書でしか触れてこなかった内容について、文字以上の情報が私に訪れ、新たな興味が湧いてきた。だから、図書館でぶらぶら流していてこの本が目に入ったとき、やっぱり今がこれを知るべきタイミングなんだろうなあと確信。
この本はいろいろな国についてシリーズ化していたので薄っぺらいのだろうと、舐めていた。だけど、目次で展開される章を眺めるうちに、自分の人生のいろんなシーンで浮きのようにぷかぷか姿を見せたり消したりしていた疑問についてのこたえがあるような気がした。
例えば冒頭の香港人アイデンティティ。何人なのか?に値する質問をされると、みんな説明が長くなる。「えーと、オリジンはこうで。父はこうで、母はこうで、私は香港で生まれて(みんな結構病院名を言う)、学校はどこどこです」のようになる。香港島側の人は特にそうで、九龍側にいくとシンプルに「香港人です」と言われたりする。一時期その傾向は収まっていたが、最近また強まっていることが本には書いてあった。店で買い物しているときなども、日本人に対してとても親切だけれど、香港で生まれて暮らしていたということが伝わると”同胞感”が一気にヒートし、"Hongkonese!!"とあわや肩を抱かんやくらいの距離感で、やあ兄弟!ぐらいの対応をされることもある。で、私もそれが嫌いじゃない。”香港人”という概念は記録には存在しないが心理的には確実に存在し、人々のアイデンティティを支えているのである。
長くなってしまったな。
他にも、報道の自由やモビリティの多様性、家族というライフスタイルの在り方など自分のなかのプカプカが明文化されていたことがこの本からの収穫。また、香港大学の調査が面白いというのもこの本を通してハッと気づいた。なぜ今までそこにアクセスしなかったんだろうかと。香港と大陸の意識差などを出したりしていて、やはり大陸との対立構造みたいなものがあるんだな、とか。そうゆうものをあえてあぶりだすのはマーケティングというよりも、これからへの防衛本能に近い感じがするけど(1997年から50年で一旦、一国二制度の"五十年不変"という約束が終了予定)。

面白いシリーズだと気づいたので次は何を読もうかなと明石書店のHPをうろうろしていたら目移りして仕方ないよ。興味を持てない本がない、逆に。

*全然関係ないけれど、香港から受けた影響で面白いことがある。土地名について「中環」を「Central」、「皇后大道」を「Queen's Road」、「深水湾」を「Deep Water Bay」、「海洋公園」を「Ocean Park」というように言語を超えて音ではなく意味で呼び名がついている。おそらく、固有名詞の概念が自分のなかでこうなってしまった私は中学入学直後の英語のテストであろうことか、"Mr.Green is a doctor."という文章の和訳を「緑氏は医者である」と書いて先生に呼び出され、固有名詞を意訳するなと言われた。
でもさ、先生、たぶん彼は中国に行ったら緑って書かれる気がするんだよ。